縄文時代

縄文土器の模様は縄で付けられたのでその名がある

というのは有名な話だが、ではその縄はどのようなものか?となると常識とはなっていないように思う。

以前疑問に思って検索した時には、そこに言及しているサイトは発見できなかった。

久々に検索してみると、今度はあった。どうやら主に使われたのは、大麻で作られた縄であったらしい。

となると、縄文土器(縄模様の付いた)が作られ始めた時代には、すでに大麻は栽培されていたと考えるのが自然だと思う。

そして、その繊維を使って縄や布を作るといった、手工業的なものも始まっていたように思う。

 

そう思うと、縄文人のイメージは、動物の毛皮を着た原始人的から貫頭衣を着た古代人にぐっと近く。

 

生産性(金)

働き方改革で生産性を上げるということが話題になっているらしい
いま生産性といわれているのは「時間あたりの付加価値」ということらしい
工学部とか出ていると、それに違和感があるという話
いま云われている生産性は金額ベースなので「生産性(金)」とでも表記しよう
工学系で馴染みのある生産性は時間あたりの生産数とか、トン数とかで計るものなのでこちらは「生産性(物)」としようか?
 
生産性(物)を上げるためには、地道な工夫と努力が必要で、最後には乾いた雑巾を絞るような苦行になるもんだという感覚。
稀に、それまでの努力がバカらしくなるほどのブレークスルーがあったりはしますが
(例えば産業革命
 
一方で生産性(金)のほうは、どうも数字のマジックが入っているような・・・
違和感の正体はあれです
生産性(物)を上げるとコストが下がる→売価が下がる→生産性(金)が下がる
というスパイラルに陥って、工夫と努力を重ねた結果が生産性(金)低下という理不尽さに納得がいかないところにあるのでは無いかと自己分析
 
実のところ、生産性(金)は働き方と関係無い気がしている。
インフレ率のほうが関係が強いのでは?と
極論だけど、来月から全ての物価(もちろん給与や年金も)を2倍にすると、生産性(金)は一瞬で倍になりますよね?
為替レートもあるので、そう単純にはいきませんが、少なくとも円建てで、輸入元への支払いと輸出時の売価を例外として単純化した場合の話
 
20年デフレスパイラルに陥ってきた日本の生産性(金)は低いのでしょう
が生産性(金)が欧米並みになったとして
「年収1千万円くらいでは、まともな部屋を借りられない(USA西海岸)」とか
「質素なカフェ飯が3千円くらい(おフランス)」とか
になって、それは良い生活なのか?
 

産経新聞「私の拉致取材」

産経新聞で「私の拉致取材」という連載がされている

書いている阿部雅美という人は、「アベック失踪」を記事にした記者らしい

他の報道機関の後追いは無く、単発だったそうで全く記憶に無い

その後、北朝鮮の関与について国会で質疑があった際も、報道はあまり無く

阿部記者はその時のことを「メディアが死んだ日」と呼んでいた。

 

拉致疑惑については、印象としては横田めぐみさんの件の報道をきっかけに

家族会の設立あたりから、唐突に報道が始まったように思う。

 

その時期で覚えているのは、北朝鮮工作員っぽいのが出てきたマンガがあったな、ということ。

本稿を書くにあたって検索したところ

『G-HARD』という(史村 翔 作・所 十三 画)で少年マガジンで1998年〜1999年の連載のマンガがそれらしい。

所 十三なのは覚えていて、同じ作者のSHOGUNのように思っていたが、記憶違いだったようだ。

そのマンガの敵役で、某国にアベックで拉致され、工作員としての訓練を受け、日本で活動しているキャラクタが出てくる。

拉致疑惑がまだ疑惑だった時期、小泉訪朝のだいぶ前のことである

フィクションとはいえ、限られた情報から話を膨らませ、結果実態とそう遠く無いストーリーに仕上げるあたり

いまさらながら、驚きです

 

子供の記録

その2

覚えているうちに書いておく

 

何才くらいだったか?うちの子は

こそあどが使いこなせていない時期があって

あれ、これを「あのやつ」、「このやつ」という言い方をしていた。

いつの間にか言わなくなってしまったが

タイミングによっては

「こやつめ、ハハハハ・・・・」とか

横山三国志チックなセリフが聞けたのだろうか?

 

 

 

子供の記録

日記に書いとけば良かったシリーズ

思い出したら追加していくよ

 

うちの子は、しばらく麺類全般を「おそうめん」と呼んでいました

うどんは「おそうめん」

そばも「おそうめん」

 ラーメンも「おそうめん」

スパゲッティも「おそうめん」

素麺 はもちろん「おそうめん」

 

そのうち、区別するようになってしまった

いつからか?という記録は無い

 

スピーカー内蔵のMP3プレーヤを買ってみた

据え置き型オーディオとして、スピーカー内蔵型のMP3プレーヤーを買ってみた

こんなやつ(アフェリエイトなのでクリックしないほうが良いです)

外国語をBGM的に流すため、これまではポータブルスピーカーを使ってきたのだけれど

スピーカー内蔵のプレーヤーでは、ランダム再生しかできないのと、MP3プレーヤーを繋ぐと、USB電源が2つ必要になるのと、何より床に置いておくと踏んだり蹴られたりで壊れたりするので、何かと使い辛かった

iPodにプラグスピーカーを着けてみたりもしたけど、アンプ無しだと音量が小さすぎて厳しい

スピーカー付きのポータブルプレーヤーがあれば良いのに

と思ったら、普通にありました。

といってもメジャーなメーカーは見当たりませんでしたが

届いて数日ですが、初期インプレッション

スピーカーの音量は十分です

BGMとして流すという目的にはほぼベスト

使い勝手はイマイチ

物理ボタンは少なくて、画面の下のタッチパネルでの操作が主になるのですが、ちょっと反応が悪い(保護シートが付いていたので貼ってしまいましたが、貼らないほうがよかったかも)

画面表示は粗いですが、フォルダ名、曲名で選べるので下手な据え置き型よりは使いやすいです

付属USBケーブルは接触が悪いのか、少し動かすとすぐ接続が切れます

あと、フォルダリストで転送したフォルダが全て見られるのに、「アルバム」からだと1/3くらいしか見えないという不思議な現象が・・・

まったく見えない方が、まだ分かる

 

残念なことはいくつかありますが、目的には合っているので、しばらく使ってみようと思います(安かったし)

アルバムリピートが基本なので、多少使い辛くても許容範囲

 

便利だったら、増殖するかも

自衛隊は令外官だと思う

憲法改正の機運がまた高まっているようなので

昔書いたことを記憶を元に再構成してみようと思う

 

憲法9条の2項で、戦力を持たないことになっている

一般的な意味では、自衛隊は戦力のように思える

国語的な感覚では自衛隊違憲である

 

一方

国の自衛権は自明のもので、基本的人権のように規程に有るか無いかに関わらず保有しているものである

2項の戦力とは1項で放棄した戦争を遂行するためのものであり、自衛のための存在は(当然)その戦力には含まれない

というのが、自衛隊は合憲であるとするロジックであるようだ。

 

結論から言うと、私は「改憲して、解釈に依らないでも自衛隊を合憲にすべき」派です。

総理が村山の時も、民主党政権の時も、違憲だから無くそうという動きは一切なかった。

つまり、みんな「必要である」と思っていたわけだ

 

基本法には無いのに、「必要だから」作られた武力というと、私は令外官を連想してしまう。

征夷大将軍とか検非違使とか、ですね。

朝廷の武官を充実させるよりも、令外官を固定化を選んだことが、武家に実権が渡る結果に繋がったと思う。

 

感覚的にいうと「あんな武闘派集団を日陰者にしておいたら、ヤバい」だし

軍隊的な組織には、それにふさわしい地位と名誉があるべき

といってもよい